■■安藤搨石評論集■■
A北大路魯山人論

北大路魯山人の芸術

子供のころ、わたしの生まれた町に大きな木彫の看板を掲げた店があった。看板の文字は「呉服」の二字で、ばかに横に広がった威勢のいい字に、子供の眼にも見えた。それが魯山人という人の手だと誰からか聞いた。
 習字をはじめた十代のなかばに、新刊の本屋で魯山人の楷書の千字文というのを見た。あるいはそれが何体かに書き分けた手本であり、わたしが楷書だけを覚えているのかもしれない。それはわたしの習っていた鳴鶴流などとは別な違った風雅さがあり、わたしはそれを鐘よう(ショウヨウ)の書風であると断定した。
そしてそれから30年後、わたしは銀座に勤めを持つ身であった。勤め先の近くに「火土火土美房」という変な名の店があり、、それが魯山人の直営店らしく、飾り窓に「停車坐愛楓林晩、霜葉紅於二月花」の書が出ていたり、ときにはピカソと肩を並べて撮った魯山人らしい人の写真も出ていたりしたが、格別感心も感動もせず、それを横目で見て通った。
 つまり長い間に魯山人という人の印象が、時折見る作品や世間の評判によって、わたしの頭の中にできてしまっていたということで、わたしにとっては、魯山人という人の生きている世界も、生き方も、いつの間にか路傍の石になっていたということだ。それがどんなに大きな石であるにしてもである。

魯山人の演出・演技

 北大路魯山人は七十七年の生涯中に、書画をはじめ陶・漆・金工等生活工芸の広い分野に、無数の優れた作品を遺して昭和34年に病没した。彼を目して「昭和の光悦」とする人があったのも不思議ではないが、その反面かれを「昭和の天一坊」と呼ぶ人もあった。「天才として」彼は本物ではなく大山師だという意味であろうが、その両面の評判のあることを魯山人が知らなかったはずはない。恐らく両方の評判ともに魯山人には同じく耳に快いものであったろう、というのは絶大な自信家である彼は、自己の才能を賭けて世間に(というより晩年は世界にといってよい)勝負を挑んでいたのであるから。
 今泉篤夫先生の「北大路魯山人の人と芸術という文に、魯山人の日常がいかに「演出」に満ちたものであったかを示す挿話があり、それが大変面白かったので今拝借すると、ある夏の暑い日、北鎌倉の魯山人の窯開きで、朝野の名士が駐車する道端に大甕が置いてあり、その中に氷のブッカキを放りこんであって、麦藁帽子をかぶった魯山人が「暑かったでしょう」などといって接待する。気がついてみると、無造作に置いたその大水甕は万暦の染付けで、今なら数千万もするような名品であった話。そのほか「大層寒い日に、私は鎌倉の家に招ばれて行ったことがあります」という書き出しで、すっぽん料理の接待を受けた折の、魯山人の演出ぶりや演技ぶりがほうふつとするような文があるのだが、これは原文を読んでもらわないとリアリティに欠けるから省略するが、魯山人の日常すべて演出であり演技であったといってもよいような生活ぶりだったらしい。
 日常すべて演出であり演技であるということは、実はもう当人にとって演出でも演技でもないものであり、日本で古来、業(コ゛ウ)と呼んでいるそれであって、もはや当人の自由になるものですらない。演出・演技は外に向かっての働きだが、これが攻撃的性質のものであれば、遂には人を傷つけずには済むまい。魯山人が生涯心を許す者を持たなかった理由もそれであろう。
 魯山人の芸術の性質もまた外に向かって働く、攻撃的性質のものであったとわたしは思う。芸術というものがすべて内省的に働くものとは限らない、攻撃的な剣にも名人があるようなもので、こういう剣士は敵の隙というものを決して見逃しはすまい。魯山人の芸術とは、ことばでいえばそういうものであったとわたしは見ている。
 魯山人の芸術を論じるものは陶器を第一に挙げ、絵が一番弱かったとするのが定説である。定説というものには力があり、そういうものであったろうとわたしも思うが、その一番弱いとされる絵について、わたしはこんなことを想像する。本職の絵描きは魯山人の絵にあきたらず思いながらも、その大胆な省略・省筆に、ある羨望を持つのではあるまいかと。「ああいうふうに無造作に省略・省筆ができたらなあ」といったような、である。本職の画家にはそれができない。できてはいけないのである。
 非凡な着想と大胆な筆致で、魯山人は絵の"さわり"中のさわりを描いてみせるのだから唸らない者はない。しかし逆にいえばいかに着想が非凡でも、筆致が大胆でも、"さわり"は"さわり"である。その同じ理由が、陶器においては彼の絵付が第一級の優れた力量を示すのである。わたしは陶器の上絵や後絵の性質をいっているのであって、絵の上手下手をいうのではない。粗雑ないい訳になるが、絵がうまいことが陶器の絶対的条件なら、ピカソの作る壺や皿は最高の陶芸ということになろう。今度はむしろわたしは、本職の陶工に、「陶器とは一体何か」と訊ねてみたいと思うのである。

魯山人の書

 さて、実はこの文の目的は魯山人の書について書くことであった。魯山人の書は、彼に他の仕事がなかったとしても、独立して立派だ、とした人があるが、魯山人の多方面にわたるすべての仕事に、それぞれのジャンルで独立した存在価値を見ようとすることは、必ずしも正しくないとわたしには思われる。絵は陶器の、陶器は絵の相関において存在するばかりでなく、彼の仕事全体はそれらどうしの相関的性質において生きる。専門というものがない彼の芸術を、ある人は「偉大なる素人」と呼び、決して文人でない彼の仕事を、「文人の芸術」の範疇に数えようとする人があるのも、決して理由のないことではない。
 彼は生涯どの分野でも団体というものには所属しなかった。それぞれの世界に大姑小姑がおり、作品のよしあしとは関わりなく、それらのしごきには堪えなければならない。そういう辛棒にはたとえ一日でも彼の堪え得るところではない。それはすでにわれわれが彼の性格に見てきたものであるが、それ以上に、団体に所属する・しないの損得勘定も素早く彼のうちで済んでいたことも事実であろう。金銭的利害に対して彼は本能的な鋭敏さがあったようで、魯山人を知る人によれば、彼は然るべき前提なしに漫然と制作することはなかったというが、それでは然るべき前提がついに無かったら、彼はどうしたかと思わない訳にはゆかない。彼が金銭的利害によって制作したことを責めるなら、すべての芸術家は同罪ではないかと反論されるかもしれないが、わたしのいいたいのはそういうことではなく、われわれはたとえ金にならない場合でも、いや生涯日が当たっても当たらなくとも、である、これに頼って生きてゆく以外に仕方がない。それがプロフェッショナリズムというものではないか。

魯山人と良寛

 年譜的な順序でいえば、魯山人はまず書家であった。洞察の名人といわれた魯山人の造形的感覚は、書によって開かれたとしてもさしつかえあるまい。しかし、厳密にいえば魯山人が書そのものによって開眼したというよりは、書が篆刻・木彫など工芸的な要素と化合した装飾的条件によってであって、純粋に「書」によってではなかった。たちまち形而下的話題に堕ちるが、紙に書いた書というものは「先生、記念に一筆どうぞ」などといわれる習慣のもとでは金になりにくい。そこは印とか看板とか、とにかく品物であることが商品としての通用価値である。
 魯山人が書家として名を得たのは、いわゆる習字の先生としてではなく、篆刻家、ことに木彫の看板や額の制作者としてであった。では、開き直って書家としての力量は?ということになれば、わたしもまた彼の力量が抜群であったと答えよう。しかし、もしも書道界というもののうちに彼が存在していたとすれば、ここでは彼の自信にもかかわらず、彼を第一等とは認めまい。これは、決してわたしが小姑であるが故ではない。
 彼の書が優れているゆえんは、前に述べた相互のジャンルの相関関係においてであって、陶器の肌に触発された洗練された墨色や、絵付模様のデザインからきた大胆で風雅な配字に負うものであることを見逃してはなるまい。そして、書の範疇のレパートリーでも、彼の芸術全体におけるのと等しく、篆・隷・楷・行・草と各書体にわたって極めて広い。(しかし書の場合、皮肉にもこのこと自体極めて専門書家的である。)それが彼のアイデアに多彩な展開を与えるのであるが、書の本質からいえば、陶芸等、他との相関関係がむしろマイナスとして働く場合のあることを見逃してはならない。
 彼は晩年良寛に私淑し、良寛の詩などを好んで書いている。魯山人の略年譜の編纂者白崎秀雄氏によれば、魯山人は昭和八年頃から良寛への傾斜を深め、ついに晩年は良寛帰一をひたすら念願したとされる。
 魯山人と良寛。この取り合わせは、滑稽であり皮肉である。相馬御風以来良寛の書に対する愛好は、当時の知識人や上流階級の間に熱烈なものがあった事情もあろうが、わたしはむしろ、真実の美に対しては本能的に鋭敏であった彼が、良寛の書に心から強い憧憬を抱いたことを信じるし、一方、子供好きで天真爛漫、純粋の権化であったとする巷説の良寛を無条件には信じないが、なおこの取り合わせは滑稽で皮肉に見える。
 すでに見てきたように、魯山人の芸術というものは装飾性が命であり、装飾性過剰がその命取りである。例えば、魯山人の書作では何が一番優れているかと訊ねられれば、「木彫の額の書だ」と躊躇なくわたしは答えるだろう。それも書体的制約によって故意な放縦を封じられた草書作品が一番優れているという次第だ。
 良寛の書は、楷書にせよ行書・草書にせよ、その揮写の心理に、装飾的配慮の片鱗も伺えぬのが特徴だ。うかがえないのではなく初めから無いのである。紙面のあるがままに、無心に詩なり文なりを書き進める、実にその必然が生む文字の造形密度が、今度は観る者の心理を通過して、巧緻を極めた装飾効果ともなって反映する。その逆ではない。それが書という芸術の生命である。



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